さぁ、久々に何を書こうか迷いながらテレビをみていると、総務大臣の辞任問題が取り上げられていました。さて、この問題、郵政の西川社長と鳩山大臣の言動ばかりに報道が行き、果たして何がどう問題なのか、新聞やテレビを見る限りではまったくはっきりしません。
かんぽの宿を安値で売却しようとしたということですが、それが本当に客観的に安値なのかどうかという解説は皆無で、テレビを見ていても二人の対決劇ばかりが取り上げられています。
かんぽの宿の売却額の是非については、不動産の専門家の意見を聞けば、ある程度どちらが正しいのかはっきりするはずなのですが、そういう論点は全くないようです。
また、最近、新聞やテレビで、「説明責任」って言葉がよく出てきますが、意味がよくわかりません。問題は、説明するかどうかって事より、実際にやったことが良いのか悪いのかということでしょう? 悪いことをしておいて、説明をしっかりしたからよし、となる訳がありません。 新聞やテレビの解説者の「説明責任が求められます。」といった論調は、なにか、(はっきりと良し悪しを報道する)リスクを犯さず適当に説教たれているようなそんな感じがしますね。
まあ私にとっては、西川社長が首になろうと、鳩山大臣が新党を作ろうと、どうでも良いのですが、一時的なワイドショーではなく、問題の本質をちゃんと詳しく報道してほしいなと思います。
そうでないと、事実とは別に、感情や雰囲気に流されていく社会になると思います。
日本政府は、7か月ぶりに月例経済報告で「悪化」という文字を排除したそうです。そうであれば次の100年は極めて明るい未来がまっているはずですね! なんていったって、「100年に一度の危機」でさえも景気悪化が6か月で終わるのなら、次の99年はどんなに景気が悪化しても数か月しか続かないことになるからです!! 私がいいたいのは「100年に一度の危機」という造語は大げさであって、人々(市場?)がそれに振り回された(それがさらに景気を悪くした)のだ、ということです。
鳩山さんの話もそうですが、僕は政治の話を他人とはしません(まぁ多くの人も一緒かと思いますが)。政治の話になったとたん、どちらが正しいという理屈よりも、「君はどっちの政党だ?」 「だれの見方かね?」という目で見られるので、うかつな事はいえません。特に熱心に特定の政党を応援している人たちがそうです。 でも彼らの気持ちもわかります。一生懸命応援している政党のことを、たとえ非があると認識していたとしても、認めるわけにはいかないのです。それは一緒にがんばっている仲間たちへの裏切りにもなります。
政治に限らず、どんな世界でもそうかもしれません。船員時代、同じ釜の飯を食った船乗りの仲間同士の連帯感はすごくて、その中にいれば非常に居心地がいいのですが、ふと、「これはおかしいんじゃないかなぁ」と思ったことも、それが船員社会にとって厳しい指摘であったりすると、口に出した途端に、非常に冷ややかな空気が流れ、結局、仲間はずれになります。
僕が船乗りをやめようと思ったのも、いろんな世界を見たいという気持ちと同時に、(本当はこれ間違ってるんじゃないだろうか。。)と思いながらも、立場上、あるいは仲間たちの手前、本意に反して否定しなければいけない。 そういう生き方は絶対にしたくないと思ったからです。もちろん、責任ある立場では、そうは思っていても否定しなければいけない瞬間もあるでしょう。 でもそれを自問自答し、忸怩たる思いでずっと働き続けていくのは、僕の好きな生き方ではありません。
当院でも、新入りのしかも経験の少ないスタッフに、予想外の業務上の指摘(これおかしくないじゃないですか?みたいな質問)を受けてどきっとすることがあり、そのつど(不本意ながら)むっとして赤面したりしますが、後で一人になって落ち着いてから、(そうなのかなぁ。。)とその指摘をちゃんと受け入れて検討するようにしています。
どの業界でも、結局主役はエンドユーザー(お客さん)。そこを忘れたらプロ意識もなにもないのですから。
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