皆さんは、身近な人が、末期癌など治らない病気で入院されている時に、見舞いに行かれて、つらい思いをされた経験はありませんか?死を前にした本人に対しては、「頑張って」「きっと治るよ」といった安易な励ましは通じません。どんなに明るい言葉でその場を取り繕っても、苦しむ人の助けにはなりません。
身近な人が終末期を迎えた時、恐れることなく、寄り添いながら看取ることができるよう、今こそ怖がらずに「死」を見つめてみませんか?
通常であれば、まずありえないのですが、その時の現場スタッフは、それを許可します。奥様はスタッフ教えられたとおりに、心臓マッサージを始めます。そして満足そうに微笑みながら、夫に語り始めたのです。
心臓マッサージを続けながら語りだした奥さんをみて、救急スタッフは全員だまって処置室をでました。こうして、処置室は妻と、死を迎えつつある夫だけになりました。
「多発転移により、肺の機能が著しく低下しており、もって2ヶ月です」
という告知を、すでにされていたようです。
私は病院に面談に行きました。本人は昔気質の無口なお父さんという感じの方でしたが、私が希望をお聞きすると「家に帰りたい。最期は家で死にたい。」と言われていました。奥様と娘様は、告知を受け入れていると言いながらも、「お父さんには頑張って1日でも長く生きてほしい。病院には、出来るだけのことをして欲しい。」と訴えておられました。
まず、末期がんを告知された患者本人は、「これ以上苦しみたくない」「痛みから解放されたい」という気持ちが根底にあります。
一方で、残される家族は、「死んでほしくない。少しでも長生きして欲しい」という想いが根底にあります。これは(少し厳しい言い方をすると)家族は自分達が悲しみたくないのです。その結果、家族が自分たちの想いを優先させることで、死にゆく人の気持ちに寄り添えないケースが多くあります。
・病院から余命宣告され、行える治療が無いと言われた以上、病院に居ても本人にとって何も良い事はない
・お父様は死を覚悟されているように見える
・治る見込みのないお父様に、「頑張って!」「死なないで!」は少し可哀そうです励ましの言葉はいらない。死と向き合っているお父様の気持ちに、寄り添ってあげて欲しい。お父様の気持ちを分ってあげることが、最大の励ましになる
・本人は自宅を希望されているが、特殊な呼吸器を装着されているので、自宅では対応が難しいが、私の施設では対応可能
とお伝えしました。有り難い事にご家族に信頼して頂きまして、施設入所が決まりました。
呼吸器の搬入の手配や職員への操作研修、そして丁度スタッフの少ないお盆休み期間も重なってしまい、入所時期は2週間先になりましたが、その間、私は何度も娘様に連絡し、
・施設入所の時点で、お父様の様態が悪くなって、お話しもできなくなる事も考えらえるので、今のうちに、昔の写真などを見ながら、お父様と一緒に、これまでの思い出をシェアして、沢山「ありがとう」って言ってあげて下さい。
・もし万が一亡くなられた場合、その場に居なかったとしても何も悔やむことはありません。看取りはなくなる瞬間を指すものではなく、本人との人生最後の期間に寄り添うプロセスそのものだから。お父様が安心して他界できるようにたくさん話しかけてあげて下さい。
お父様は、私どもの施設に来れなくても、病室で家族に囲まれながら支えられながら最期の時間を過ごされました。そして奥様の前で、目を閉じられました。奥様から連絡を受けた娘様も、私のアドバイスを思い出し、「亡くなる瞬間に立ち会えなくても大丈夫、しっかりとお話しできたし。」と全く慌てなかったそうです。
・「人はいつか必ず死ぬ」という事実と向き合い、そこから目を背けない勇気
・そして、自分の「悲しみたくない」という気持ちを乗り越え、死と向き合っている本人の気持ちに寄り添うこと。
みなさん、今こそ怖がらずに「死」を見つめてみましょう