2020年11月17日火曜日

死にゆく人に寄り添うということ ~怖がらずに死を見つめましょう~

 皆さんは、身近な人が、末期癌など治らない病気で入院されている時に、見舞いに行かれて、つらい思いをされた経験はありませんか?死を前にした本人に対しては、「頑張って」「きっと治るよ」といった安易な励ましは通じません。どんなに明るい言葉でその場を取り繕っても、苦しむ人の助けにはなりません。

身近な人が終末期を迎えた時、恐れることなく、寄り添いながら看取ることができるよう、今こそ怖がらずに「死」を見つめてみませんか?

 最近読んだ、本にこんなエピソードがありました。心肺停止で救急搬送された80代男性。救急搬送された場合、医師は例え助かる見込みがなくても、家族からもういいですと言われるまで心肺蘇生を続けます。心臓マッサージを行う医師の傍らに、男性の奥様がやってきます。奥様には、もうすでに男性が助かる見込みがないことは告知されています。ところが、その奥様は、心臓マッサージを自分に代わってくださいと言うのです。

通常であれば、まずありえないのですが、その時の現場スタッフは、それを許可します。奥様はスタッフ教えられたとおりに、心臓マッサージを始めます。そして満足そうに微笑みながら、夫に語り始めたのです。

 「お父さん、あんたは、な~んにも自分のことができんかったけん、あたしがずっと一緒におってやったとよ。しまいにゃ心臓すらあたしが動かしちゃらんといかんごになって、情けなか人やねぇ。でもね、あたしは幸せやった。楽しかった。覚えてるとね、中洲であんたが喧嘩したときのこと・・・」

心臓マッサージを続けながら語りだした奥さんをみて、救急スタッフは全員だまって処置室をでました。こうして、処置室は妻と、死を迎えつつある夫だけになりました。

 それから10分後、奥さんが出てきました。そして、救急スタッフ全員に深々と頭を下げて、こう言いました。

 「ご迷惑をおかけしました。もう結構です。」

 奥さんの目には涙のあとが残されていましたが、しかし満足そうな笑みを浮かべていました。

 皆さんお分かりかと思いますが、この奥様は、命を助けるために心臓マッサージを続けたのではありません。旦那様との人生を振り返りながら、二人の絆を深めながらお別れをしていたのです。それを理解し、奥様の思うようにさせてあげたこの救命救急のスタッフ本当に立派だと思います。

 私は、仕事柄、多くの終末期の人たち、そしてご家族と深くかかわって来ました。そして今は、高齢者が在宅等で人生の最期まで生活を送ることを支援する事業にもかかわっています。

 そんな中、先日、こんなケースを体験しました。 大腸がんの術後、肺への多発転移で余命2ヶ月の70台男性の、私の勤める高齢者施設への入所打診が、入院中の病院よりありました。病院医師から本人と家族へ、

「多発転移により、肺の機能が著しく低下しており、もって2ヶ月です」

という告知を、すでにされていたようです。

私は病院に面談に行きました。本人は昔気質の無口なお父さんという感じの方でしたが、私が希望をお聞きすると「家に帰りたい。最期は家で死にたい。」と言われていました。奥様と娘様は、告知を受け入れていると言いながらも、「お父さんには頑張って1日でも長く生きてほしい。病院には、出来るだけのことをして欲しい。」と訴えておられました。

 本人と家族、それぞれの想いにズレがあると感じませんか?私は病院時代から、こういった本人と家族の気持ちのずれを何度も経験してきました。

 まず、末期がんを告知された患者本人は、「これ以上苦しみたくない」「痛みから解放されたい」という気持ちが根底にあります。

一方で、残される家族は、「死んでほしくない。少しでも長生きして欲しい」という想いが根底にあります。これは(少し厳しい言い方をすると)家族は自分達が悲しみたくないのです。その結果、家族が自分たちの想いを優先させることで、死にゆく人の気持ちに寄り添えないケースが多くあります。

 そこで私はご家族に、施設側の人間としてお話をさせて頂きました。

・病院から余命宣告され、行える治療が無いと言われた以上、病院に居ても本人にとって何も良い事はない

・お父様は死を覚悟されているように見える

・治る見込みのないお父様に、「頑張って!」「死なないで!」は少し可哀そうです励ましの言葉はいらない。死と向き合っているお父様の気持ちに、寄り添ってあげて欲しい。お父様の気持ちを分ってあげることが、最大の励ましになる

・本人は自宅を希望されているが、特殊な呼吸器を装着されているので、自宅では対応が難しいが、私の施設では対応可能

とお伝えしました。有り難い事にご家族に信頼して頂きまして、施設入所が決まりました。

呼吸器の搬入の手配や職員への操作研修、そして丁度スタッフの少ないお盆休み期間も重なってしまい、入所時期は2週間先になりましたが、その間、私は何度も娘様に連絡し、

・施設入所の時点で、お父様の様態が悪くなって、お話しもできなくなる事も考えらえるので、今のうちに、昔の写真などを見ながら、お父様と一緒に、これまでの思い出をシェアして、沢山「ありがとう」って言ってあげて下さい。

・もし万が一亡くなられた場合、その場に居なかったとしても何も悔やむことはありません。看取りはなくなる瞬間を指すものではなく、本人との人生最後の期間に寄り添うプロセスそのものだから。お父様が安心して他界できるようにたくさん話しかけてあげて下さい。

 と、アドバイスを送りました。本当に誠実なご家族様で、一つ一つ実践して下さったそうです。

 その後、お盆前後より呼吸状態が悪化し、施設での対応が不可能となり、そのまま病院で看取る事になりました。そして数日後、ご逝去されたと病院から連絡がありました。

それからしばらくの間、私は、(きちんと看取れただろうか。余計なこと言い過ってしまったかな。)などと考えながら悶々とした日々を送っていました。

 そして10日後、奥様と娘様がご挨拶に来られました。私はその時のお二人の表情が未だに忘れられません。多くの場合この様な状況では、うつむき加減の悲しげな表情のご家族に、神妙な表情で対応します。ところが現れたお二人は満面の笑顔でした。そして楽しそうに、お父様との病室での思い出を沢山話してくださいました。

 病院側の計らいで、最後は夜も交代でお父様と同じ部屋で寝泊まりできたそうです。

お父様は、私どもの施設に来れなくても、病室で家族に囲まれながら支えられながら最期の時間を過ごされました。そして奥様の前で、目を閉じられました。奥様から連絡を受けた娘様も、私のアドバイスを思い出し、「亡くなる瞬間に立ち会えなくても大丈夫、しっかりとお話しできたし。」と全く慌てなかったそうです。

 私はお二人の満足そうな笑顔を見て、改めて終末期における看取りが残された人に与える影響力を実感しました。

 死は人生の集大成です。死を迎えるための準備というのは、なにも葬儀の手配や終活などという現実の諸問題の処理だけではありません。死を迎えつつある時間こそ、本人の人生を親しい人が共に振り返り、お互いの心に深い絆を持つ絶好の機会なのです。

 この機会を決して逃さないようにするために必要な事はたった2つです

・「人はいつか必ず死ぬ」という事実と向き合い、そこから目を背けない勇気

・そして、自分の「悲しみたくない」という気持ちを乗り越え、死と向き合っている本人の気持ちに寄り添うこと。

 「がんばって」「死なないで」という言葉は、死に向かおうとしている本人には負担となります。「私は最期まであなたと共ににいる」という言葉をかけてあげて、あとは本人の気持ちに徹底的に寄り添ってあげて下さい。

 そのような看取りの時間とそこで生まれた深い絆は、残された人の心に残り続けます。またそれだけにとどまらず、その体験は、自分の「死」をも見つめ、そして自分らしく生きることを見つめなおすことに繋がるのです。

みなさん、今こそ怖がらずに「死」を見つめてみましょう

2018年12月1日土曜日

認知症介護の理解

 計7日間の認知症介護実践者講習に参加してみっちり勉強しています。本当にたくさんの気づきを得ることができましたので、皆様にも知っていただきたいと思い、復習の意味も込めてここに記します。 

 今や誰がなってもおかしくない認知症(2025年には日本で700万人に達します)。 ではあなたは認知症の方の何をみて、この人認知症かも?と思われますか?  認知症によって現れる症状は大きく2つに分けられます。

1つ目は「中核症状」です。これは認知症になると必ず出てくる症状で、以下のようなものがあります。

 ・記憶障害:特に近時記憶がすっぽり抜け落ちる 

・見当識障害(時間):時間的感覚がなくなる。昼と夜や季節が分からない 

・見当識障害(場所):道に迷う。トイレや電気のスイッチの場所が分からない 

・見当識障害(人):知っているはずの人が分からない。家族が分からない 

・実行機能障害:料理など作業の手順が分からない。物事の段取りがつかない 

・失行:服が着れない。パズルができない。 

・失認:人や物、音などを見たり聞いたりしても、それが何なのか認識できない  

 これらは、認知症になると(少しずつにせよ)必ず出てきます。避けることはできません。 一方、防ぐことのできる症状もあります。「行動・心理症状」です。これは、環境や周りの人の言動などによって引き起こされる二次的症状で、 妄想、徘徊、攻撃性、介護拒否、不適切な行動、昼夜逆転、焦燥 などがあります。これはみなさんが、認知症の人に対して一般的に持たれるイメージだと思います。 

 でも改めて言いますが、この「行動・心理症状」は、認知症になると必ず出てくるものではなく、環境や周りの人の言動によって引き起こされるものなのです。

 どういうことかと言うと、 認知症になると、今まで当たり前だった事が分からなくなったり、できなくなったりします。記憶障害で言えば、よくある「あれ何だったか思い出せない~」という記憶の一部消失ではなく、ある部分の記憶全体がすっぽり抜け落ちます。結果、記憶の連続性がなくなり、今自分がどういう経緯でこの場所にいるのか、なぜここに座っているのかが理解できなくなります。

 そこに見当識障害が加わると、自分のいる場所がどこなのか、そばにいる人が誰なのか、そして今は朝なのか夜なのかも分からなくなります。人間の脳は、そういうシビアな状況に陥った場合、僅かな手がかりやヒント、自分のまだ持っている知識などから、最も考えうるストーリーを作り出し、それを事実だと思い込みます。それは健常者から見ると、妄想です。 

 また、当たり前のことですが、自分のいる場所が分からなくなれば、それを確かめるために、周囲を歩き回ります。あるいは前述の妄想により、自分がこれからどこかに行かなければならないという結論に至れば、その自分の信じた目的地に向かって歩き出します。それは健常者から見ると、徘徊です。

 また身体介助(例えばおむつ交換や入浴介助)において、誰か分からない人が、分からない事を言いながら、分からない表情で近づいて身体に触れらたり動されたりした時、自分を守るため大声を出して拒絶反応を起こします。それは健常者から見ると、攻撃性であったり介護拒否となります。

 つまりこれらの、健常者から見れば不適切な行動は、本人にとっては意味のある、目的のある行動なのです。ここに、認知症の理解、そして「行動・心理症状」を起こさせないケアの鍵があります。(「困った人」 → 「困っている人」の認識変更)

 このユーチューブ映像を御覧ください。 https://youtu.be/7kKAq6lHge/hp/link.html 

 映画館で(故意に)予定と違う映画が流されました。すると観客はざわつき、お大きな声を出したり、立ち上がったり、放映室に向かって手を振ったりしました。 知らない人がこの場面を見れば、観客の行為は明らかに不適切な行動です。  でも観客からすれば、違う映画が流されたという理由があるように、認知症の方の一見不適切に見える行動にも理由が存在します。つまり見たい映画(求めている物)に対して、違う映画(違う物)を見せられているからこそ出てくるのです。

 認知症のケアにおいて、現れた症状を、その理由を探ることなく、単なる異常な行動とみなせば、無理やり静止したり、おやつを出すことによってごまかそうということになります。でも残念ながらそのようなやり方では収まらないどころか、さらなる焦燥感を生み出します。 出てくる症状の理由を知ることが認知症に対するあるべきアプローチとなるのです。 

 もちろん、十人十色の性格や歩んでこられた人生に起因する事が多く、それを知るのは容易ではりません。でも、それを探ろうという姿勢こそが、これからの認知症ケアに求められるものなのです。

 いま、認知症介護における新たな理論「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」の考え方が求められています。 その人を中心に考えるというのは、昔から何度も言われて来たことですし、何も新しくないという気がするかもしれません。 でも、その人中心と言いながら、自分の(健常者の)価値観で、認知症の方の行動を判断し、本人の同意のないまま是正しようとしたり、その人の個性を見ずに「認知症の人」という目で見てたり、或いはしてあげるというケアをしている人はまだまだ多いのです。

 長谷川式という認知症検査を考え出された長谷川和夫先生の著書から抜粋します。 ————————————————————— 

(ある物語) 足元のおぼつかない幼い子(1歳半位)が公園を歩いていました。ところが何かのはずみで転んで泣き出しました。するとそこに4歳くらいの女の子が駆け寄ってきました。 助け起こすのかなと思っていたら、女の子は倒れている小さい子の傍らに自分も腹ばいになり、幼い子を見てにっこり笑いかけました。 泣いていた子もつられて泣きやみ、にっこりしました。 女の子が「起きようね」というと、小さな子も「うん」と言って一緒に立ち上がり、手をつないで歩いていきました。 

『認知症ケアの心』ぬくもりの絆を創る  長谷川 和夫著 ————————————————————— 

 ケアが必要となった人に駆け寄り、そして上から引き起こすのではなく、まずその人の視点に立って、その人の力を信じて笑顔で声掛け促しをする、まさに「パーソン・センタード・ケア」の原点を示すようなお話です。

 認知症の人は、認知機能(を担当する神経細胞)が障害を受け、言葉も失っていくため自分の不安や望みを訴えることはできませんが、感情や意欲は失われず「心」は生きています。言葉に出せない想いを、みつけてあげることのできる。そんな介護者になりたいと思います。

  『私たちには言葉よりも、あなたがそばにいてくれること、私たちと思いを分かち合ってくれることが必要だ。私たちの感情と精神は、まだここにいるのだ。あなたが私たちをみつけてさえくれるなら』

(「私は私になっていく-痴呆とダンスを」クリスティーン・ブライデン著)

2016年12月11日日曜日

介護の本質

今日は介護の勉強を通じて、コミュニケーションの本質を学んだというお話をします。

私は今まで働いていた医療機関での仕事に加えて、今年から同じグループの有料老人ホームで施設長としての仕事も始めることとなりました。私にとって介護の現場は未知の領域であるので、とりあえずヘルパーの資格を取ろうということになりました。

皆さん、いわゆるヘルパーさんの仕事ってどんな事が頭に浮かびますか?おそらく殆どの方が、排泄・お風呂・食事、の世話をする人というイメージだと思います。実際私もそう考えてましたし、資格なんか一応形だけで、実技指導を受けれてすぐ取って、あとは実際の現場で実践あるのみと思ってました。しかし実際には、130時間(17時間として19日間)ものカリキュラムがあり、しかもその半分以上が座学で、その座学のメインがなんと、相手の事を尊重し、そしてどうやって自分が受け入れてもらえるようにするかという、介護技術というより話し方教室で教わるような事の勉強だったので、非常に驚きました。

講習のボリュームが増え、中身も実務中心から座学が増えたのには理由があります。考えてみて下さい、排泄・入浴・食事の介助と簡単にいいますが、みなさんは他人の前に裸を見られたり、良く知らない人に自分の部屋に入るなりオムツ(下着)の中を確認されたり、正面から足を開いて陰部洗浄されたとしたら、どんな感情が起こりますか?ありえないですよね。嚥下機能が低下して、食事を飲込むのに時間がかかる人がいます。下手をすれば食べ物気管に入りそうになります。皆さんがそのような状態の時、信用していない人があなたの食事介助について、意志を十分に確認することなく食事を口の中に運び入れたら、落ち着いて食事を楽しめますか?楽しめる訳がありませんね。今このブログを読んで頂いている皆さん全員がそんな介護は全て拒絶すると思います。なぜならそれらは人の尊厳を無視する介護だからです。しかし、残念ながら実際に介護を必要とする立場になれば、他人の手に身をゆだねるしかなくなります。自分の気持ちをわかってもらえない、自尊心を損なう介護です。

一方で、ケアする側も、仕事に追われ短時間に事故なく作業を終わらせることでいっぱいいっぱいで、相手の気持ちまで考える余裕はとてもありません。いそがしくてきつくて、しかも相手から感謝というエネルギーを受け取る事のない全くやりがいの生まれない介護。

自然と介護というものが、お互い心の通い合う事のない殺伐としたものとなります。それがこれまで多くの施設で行われてきた介護です。介護する側もされる側も疲れ切っています。

あと10年もすれば団塊の世代が80代に突入し、すごい勢いで高齢者が増えている日本に置いて、こんな介護の現状を変えることは待ったなしの課題であり、だからこそヘルパー講習のカリキュラムが変更となったのです。

では、いったいどのようにすれば、介護される側に自然と感謝の気持ちが生まれるような介護が出来るのでしょうか?今のヘルパー講習においては、高齢者の気持ちを理解し、本人に生きる意欲を持ってもらうようにすることが大切であると教えています。高齢者、特に介護が必要な高齢者になると、自分たちは周りに迷惑を掛ける存在で、社会から必要とされていない、そういう疎外感を持ちがちだからです。

日本に老人の介護施設や訪問介護制度ができたのはたった50年数年前のことです。それ以降様々な介護の現場で試行錯誤が行われてきましたが、一部において、老人を対象にした「無意識下の人格の否定」が起きてきました。しかし、最近になってわかってきたのは、介護を必要とする高齢者が、人としての尊厳を失えば、生きる意欲がさらに低下し、ADL(日常生活動作)も悪化する。そしてそれが、介護する側にとってさらなる負担になるという悪循環に陥ってしまうという事です。

これからの介護士は、相手の事を介護の必要なおじいちゃん、認知症のおばあちゃん、というように、病気や身体の状態だけに注目するのではなく、これまで長い人生を歩んできた、一人の人間として相手のことを尊重し、そして気持ちを理解しようとすること。そのことで介護を受ける人に、「あなたの事を大切にしています。」というメッセージが伝わります。そしてその結果、介護する側される側両者に絆が生まれると同時に、ADL(日常生活動作)の改善も期待できます。

相手を理解し、そしてお互いに理解しあう事、実はこれは人と人とのコミュニケーションの本質です。介護の世界を通じて、私はこの本質があらゆる場所そしてあらゆる相手に通用する、極めて重要な行為であることを改めて実感しました。

ここで皆さんにイギリスの高齢者施設で亡くなられたある老婦人が残した日記をご紹介したいと思います。これは亡くなられた後に手荷物の中から見つかったもので、それを見た施設長が施設スタッフ全員への貴重な教育教材として利用したものです。

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何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなくて
目をうつろにさまよわせて
食べ物をぼろぼろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」と言っても
あなたのしていることに気づかないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり

これがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見ていないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるがままに起き上がるこの私が
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか

私は十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて、皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁。守ると約束した誓いを胸にきざんで
私の心は踊っていました
二十五歳で私は子供を産みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました

五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました。夫が死んだのです
先のことを考え 不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました

いま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ、
かつて心があったところにはいまでは石ころがあるだけ

でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心はふくらむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに速く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです

だから目を開けてよ、看護婦さん 目を開けて見てください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよく見て!

(パット・ムーア著『私は三年間老人だった』より)
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今あなたの目の前にいる相手をよく見ること。決して外見や印象、といった視覚情報だけでなく、その人の内側にあるものを見つける能力を持たないといけないですね。相手をよく見ることを今まで以上に大切にしながら、介護業界において経験を積んでいきたいと思います。

引き際の美学

皆さんは、引き際という言葉を聞いてどんな人の事を思い浮かべますか?やはり舛添さんでしょうか?政治資金の一部を生活費に使っているといわれて、すぐ謝らず「何も悪い事はしてません。全てきっちり処理しております。」なんていうものですからテレビや週刊誌のレポーターがうわぁ~と押し寄せて追及され、結局最後は追い込まれて、いやいや辞任させられました。ベッキーさんもそうでした。最初の記者会見で嘘をついたために、ずるずる事態を長引かせて、かえって印象を悪くしたように思います。
とにかく最近テレビを見てると往生際の悪い人のニュースが多いのですが、少なくても昔は、きれいな引き際の方がいらっしゃったと思います。私の中では誰が何と言おうと、山口百恵さんです。当時人気絶頂の21歳、突然結婚と同時に引退します。今でも忘れません、武道館ファイナルコンサートで最後の曲を歌い終わった後「幸せになります」とファンに言ったそのマイクをステージにおいて文字通りスターの座から降りて行きました。少し前ではサッカーの中田英寿さん、日本代表選手まだ29歳の若さでしたが、ブラジルワールドカップ終了と共に引退します。その最終戦でブラジルにボロボロに負けた後グランド中央であおむけに倒れこむその姿は、「俺はもう全てを出し尽くしたー」という気持ちが全身から溢れ出てる様な美しい引き際でした。

さて実はここからが皆さんにお伝えしたいところです。私が今回引き際について書こうと思ったきっかけは、なにも舛添さんじゃありません。もちろんベッキーさんでもありません。実は最近、仲の良かったテニス仲間を病気で無くしました。で、その方の死にざまといいますか、人生の幕の下ろし方を目の当たりにして、ああこんな人がいるのか、と深い感銘を受けて、それから引き際というものについて考えるようになりました。

私より一回り上で60前の方で、同じスクールに奥様と一緒に通われていて、お互い初心者だった事もあり、親しくさせて頂きました。スクールの生徒さんの平均年齢が大体20~30台でおまけにコーチは二十歳です。そのなかで痛風の持病のせいだと言って、いつも右足を少し引きずりながら、それでも真剣に汗だくになってテニスをしていた彼は相当浮いていましたが、とても魅力的でした。腕っぷしが強くて力任せで打つ悪い癖がなかなか治らず、自分の子供くらいの若いコーチにからボロカスに叱られても、「わしゃどんくさいからあきませんわ!」なんて笑いとばし、テニスが終わると大好きなアルコール補給のためなじみの居酒屋に一直線という様な大変豪傑な方でした。そんな性格にも魅力を感じて、時々一緒に飲みに行くようになりました。
昨年6月に飲んだ時に、体調が悪そうでひどい咳をされていたので、
私 「大丈夫ですか」
彼 「大丈夫大丈夫、これ喘息ですねん。」
私 「あーそうなんですかー。じゃ病院にかかられたんですね?」
彼 「いぇー、ワシ病院なんて行ったことないですわー」
なんて会話があり、まぁその人らしいといえばらいしのですが、それじゃいけないってことで、とにかく一度、病院行って調べてもらってください。もしそれが本当に喘息だとしたら、いまは飲み薬だけでなく吸入する1日1回シュッと吸うだけの良い薬もありますから、きっと良くなりますよ。と強く勧めました。で、それからレッスンに来られなくなりました。しばらくして夫婦揃ってスクールもやめらました。
心配になってメールを送ったものの返事がきません。でもまぁ、今は治療中で元気になったら戻ってきて、また一緒にテニスしたり飲んだりできるだろう、なんてなんとなく考えて、それ以上の連絡は控えておりました。
すると今年2月に突然奥様よりメールが届きます。そこには、「主人が肺癌で亡くなりました。生前は大変お世話になりました。」と書かれていました。えっ?びっくりしました。。と同時に、何故亡くなる前に教えてくれなかったのだろう、分かっていればせめて励ましにいってやれたのに、と正直憤りも感じながら、電話をかけて奥様に連絡をかけ、後日彼の自宅兼職場(彼は奥さんと一緒にカバンを作る仕事をしていました)に伺って事情を聴きました。
昨年6月に私が病院受診を勧められたその翌日に大きな病院を受診したそうです。そこで全身のCTを撮ってもらって出た診断が、肺癌の末期、肝臓や脳にも転移して、余命半年とその日に宣告されたそうです。その日の晩、彼は初めて奥様の前で泣きました。その時、施設の子供たちに自分の持っている技術を教えて独立を支援する活動を始めたばかりで、それができなくなる事が何よりもつらかったそうです。でもその時彼は、とにかく誰にも言うな、周りに心配をかけるのは嫌だからと病気の事については固く口止めされたそうです。
自宅で夫婦でカバンを作る仕事をされ、内職スタッフもたくさん抱えていました。そのスタッフにも最後まで病気の事は隠されていましたが、亡くなった後にお別れの会を開くように奥様に申し付けていました。スタッフはその会で初めて亡くなられた事を知ったそうです。その時スタッフに配られた彼からのメッセージを見せて頂きました。そこには、彼を襲った非情な運命に対するつらさ、嘆きの言葉はかけらもなく、自らの病気を自虐的に笑いとばしながら(例えば、癌が脳にも転移していたみたいです、自分が時々訳の分からんないボケをかまして皆さんを困らせたのは、決して私のせいではなく癌のせいでした笑とか)、そして自分は勝手気ままな旅に出るから、その後は自分の妻が引き継ぐので、どうか彼女をみんなで支えてあげてほしい、そしてどうかこれまで通り団結して欲しいと書かれていました。
そのメッセージを読みながら、あの明るくて優しい彼の面影が脳裏に浮かびあがりました。そこに私は彼の心を見ました、いきなり余命半年を宣告された時、彼が一番思い悩んだのは自分のことではなく、自分が死んだ後の事、特に奥様の事だったと思います。だからこそ心身ともに疲弊している中で、スタッフを動揺させない様にしながら、奥様に仕事を引継いで、そしてお別れの会とメッセージまで準備したのではないでしょうか。
私からのメールに返事していない事もを最後まで気にされていました。本当の事をいえばいろいろ迷惑をかけるし、かといって嘘はつきにくかったようです。
自分亡き後を考えることと同時に、彼は死ぬ間際まで自分らしく生きたかった。病人扱いされ、周りから同情されながら死を迎えるのなんか真っ平御免だったに違いありません。亡くなる1ヵ月前の職場で撮った写真を見せて頂きました。痩せ衰えていましたが、表情・そして目は以前と変わらずギラギラしていました。入院も最小限にしてもらってギリギリまで自宅で普段通り生活し仕事もされていたそうです。

人生においても自分がどうしても到達したかった何かを断念する、自ら幕を下ろし次に向かわなければいけない様な場面が何度かあるはずです。そこでどう判断してどう引き際を作るのかは、その時の心のありよう、かっこよく言えば「生き様」が現れてくるものだと思います。つまり引き際というものが、実はその人が一番大事にしている信条・信念を映し出す鏡であり、引き際を通してその人の心が見えてくる様に思います。

引き際は生きざま、そして死にざまにもつながります。
亡くなった友人のお墓参りさせて頂き手を合わせた後、彼の様なあざやかな死にざまを、果たして自分ができるのか、そのような生き方を今自分がしているのか自問自答した時、日々の生活に追われて、一番大切にしないといけない自分の心と向き合うことを忘れていたような気がしました。それはつまり自分がどんな生き方をしたいかということです。
彼が人生の引き際を通して、私にその事を教えてくれたような、そんな気がしました。

落語の魅力

最近、落語にはまってます。名人の落語を聴いていると自分の想像力がカーっと掻き立てられて、頭の中がその情景でいっぱいになっちゃう。そして聞き終わった後はなんだか心が元気になる。まるで疲れた心に栄養補給した様なそういう感覚があります。これは朗読を聞いた時と同じなんです。ですので私の感覚の中では落語は朗読にとてもよく似ています。

でも落語を聞いていて気付いた事があります。それは大昔の話なのに、内容といえば、お金がない・人間関係・親子関係がうまく行かない・男女関係のもつれ、あるいは仕事のトラブル、そんな事でドタバタやってる話ばかりで、それらは現代のわれわれが抱えている問題と何も変わらない。つまり昔も現代も人間の本質というものははずーっと普遍的に何も変わってないという事なのです。そして、落語が素晴らしいのは、そういう時代が変わっても変わらない人間の欲深さや汚い部分を全く否定せず、むしろ笑い話にして、ありのまま肯定してしまっていることです。

ですので、落語を聞いていると、自分が抱えている悩みや問題なんていうものが、これっぽちも特別なじゃなくて、昔からどこにでもあった、何百万回、何億回という人の数だけ繰り返されている類の話に過ぎないものだと気付かせてくれるのです。そしてしょせん人間ってそういうものだよ、うまくいかなくて当たり前なんだよ。しょうがないんだよ。と考えると、とても気が休まるわけです。
とにかく最近落語を知り始めたばかりで落語初心者の私ですが、今日は独断と偏見で落語の魅力を語ります。

落語は江戸時代に生まれました。登場人物はというと大体決まっていて、貧乏長屋に住む職人でそそっかしくて喧嘩っ早い「はっつぁん」こと八五郎と「くまさん」こと熊五郎、そして物知りの「横丁の隠居」、そして金にうるさい長屋の大家に、商売を営むお金持ちの「大旦那」と、放蕩息子の「若旦那」、彼らが様々な騒動を巻き起こす。

落語の楽しさ、それは気楽さにあります。どこにでもいそうな人間達の巻き起こすドタバタ劇、聴いているお客さんの方が、演者に対して「何をバカな事いってやがんだい。」とむしろ上から目線になれる気楽さ。これが、能とか歌舞伎等、あるいはオペラやクラシックのコンサートになるとこうはいきません。どうだ、素晴らしいだろ!と言わんばかりの演者に対して、こっちは「理解できないイコール自分の勉強不足で恥ずかしい。」という頭がありますから、必死で周りの反応の遅れをとらない様にして、ビクビクしちゃったりします。

とにかく落語は現実を肯定し、上から目線ではありません。ですのでイソップ寓話のような、教訓や教えなんかはありません。逆に落語を聞いていると、これまで我々の意識を縛ってきたイソップ寓話の偽善性や嘘が見えて参ります。アリとキリギリスと言う話がありますね。まじめでコツコツ働くアリが夏の間に頑張って冬の食糧を蓄えている。それを尻目に怠け者のキリギリスは遊びほうけている。そして冬になると食べ物の無いキリギリスが餓死してしまう話です。つまりこの話は、遊んでないでアリさんのようにコツコツ働きなさい、キリギリスの様な生き方をしていると罰が当たりますよと説教する話なのです。

でも考えてみて下さい。みなさんの周りにもキリギリス人間はいると思いますが、リッチで優雅なキリギリス人間は冬に皆餓死してますか?案外冬に暖かいところで美味いもん食ったりしてますよねw。ウサギとカメもそうです。意地悪で要領の良いウサギ人間が、のろまなカメ人間にいつも負けていますか?
つまり現実はそんなイソップ寓話の様には行かないんです。だって人間っていい部分もあるけど汚い部分もいっぱいある。その人間達が集まった社会が、そんな理想通りに行くわけが無いのです。

その点、落語では、いつも悪さばかりしている放蕩息子の若旦那も堂々と生きていて、ちょっとしたことから大活躍しちゃったりもする。人間社会のあるがままを全く否定することなくそのまま描いている。その潔さが気持ちいいのです。

人は生きていく上で、ああなりたい、こうなりたい。こうあるべきだ等と目標があったり、上手くいかないのは自分がせいだ何とかしないきゃ等と考えたりします。それが日々の頑張りのエネルギーになっているうちは良いですが、頑張ってもどうにもならないこともありますので、段々段々そういう意識が自分を縛り付け、身動きがとれなくなっちゃう事もあります。

人間や人間社会というものは昔からずーっと変わらず、思い通りになんかなるものじゃない。今の自分の悩みも解決できなきゃ、それはそれで仕方ないものなんだと、吹っ切れさせてくれる力。それが落語の一番の魅力なんだと私は思います。

P.S. 古今亭志ん朝『堀の内』 音声だけでも十分に楽しめます。是非聞いてみてください。

失敗しない交渉術(逆転の発想)

僕はこれまでの人生において、さまざまな交渉の場面からできる限り逃げまくってきました。元々人と話す事さえ苦手で面倒臭いのに、交渉で相手とやり合うなんて、もうとても無理だと思いました。
ところが最近、とある話合いに参加させて頂いた時、両者ともに非常に満足のいく結果が得られた経験をきっかけに、こんな自分でも交渉ができるのかもしれないと思うようになりました。
事情は詳しくお話できませんが、その成功体験から、交渉に対するイメージが180度変わりました。

僕はそれまで、交渉というのは相手を打ち負かしてなんぼのものであり、いかに相手を理詰めで追い込んで、自分の言い分を認めさせるかが重要だと思っていました。ところが、うまく行った時の経験を振り返ると、むしろ逆で、相手の言い分を認める事が交渉の成功に直結しています。
つまり、自分の言い分をいかに受け入れさせるかではなく、相手の主張をまずは全部受けとめて、自分のなかに相手の言い分を受け入れる余地がどれだけあるかを見極める事が非常に大切なんです。そしてそのプロセスがあるからこそ、相手が自分の言い分もきちんと認めてくれる。それが交渉における逆転の発想です。

そもそも、交渉というのは命令とは違います。コミュニケーションです。つまり、お互いの考え・立場を尊重し合う場面でしか機能しません。
であれば、一旦交渉すると決めた以上は、どんな相手でもあっても、先ずは相手を受け入れる気持ちを持つ事。そこから全てが始まります。

これは交渉だけの話ではなく、現在のカウンセリングにも使われているそうです。
先日中学校の先生とお話させて頂く機会がありましたが、例えば学校で問題行動を繰り返す生徒に対する問いかけは、「おまえあかんやろ!」ではなく、「どうしたの?」だそうです。
そして相手の気持ちを全て吐き出させ、その間一切反論せず肯定的に聞いた上で、何がダメなのかをしっかり説明して、最後は「これからは~~するようにしてくれるか?」とお願いする形で指導するそうです。
一見弱腰に見えても、頭ごなしで叱りつけるよりはるかに改善する可能性が高いとの事。


交渉における逆転の発想、ぜひ皆さんも度試してみてください。

2013年11月1日金曜日

整理整頓は引き算

皆さんは子供の頃、「きれいにしなさい!」「整理整頓やろ!」とよく言われませんでしたか?僕も毎日の様に言われていました。でも大人になればさらに物が増えます。書類が増え、本が増え、服が増え、物があふれて片付けのハードルがさらに上がりますね。 「人生がときめく片づけの魔法」 なんていう本が最近ベストセラーになったようですが、それ程片付けというのは難しいのです。
僕は長年自分の身の回りがどうしてこんなに汚くなるのか、悩み続けてきました。そしてある事をきっかけに、実はそのヒントが、ななんと!小学校でならった算数の『引き算』にあることに気付いたのです! 今日はそんな整理整頓の秘訣についてお話してみたいと思います。


自宅や職場がものであふれ、整理する必要に迫られた時、「もう少し広ければなぁ」とか「もっと収納スペースがあればなぁ」と考えた頃はないですか?物があふれてしまうのは、収納が足りないからだと。
でも考えて見て下さい。実は収納スペースって、あればとりあえず整理しなくても、そこに物入れとけば部屋はキレイになりますよね。結局、収納へは整理処分されない物がそのまま詰め込まれどんどん埋まっていく。 だからこそ不要な物を処分する「引き算」の作業をしない限り、収納はいくらあっても足りないんです。

一つ具体例を挙げますね。僕の母親は片付けが大の苦手です。部屋汚いわ!というと、『収納がないからや!!(怒)』と返ってきます。キッチンも汚いなぁ!といえば今度は、「新しいシステムキッチンをかってーな!!」と来ます(笑)。
ある日、僕も手伝うから頼むからみんなで家をきれいにしようや!と言いました。すると、物置く場所ないといって、新しい棚を買ってくるのです。あふれた物を増やした収納に入れるやり方。つまり彼女は足し算を選択するわけです。結果どうなるかといえば、確かに身の回りはキレイになった様に見えます。でも棚で部屋は狭くなり、しかも恐らくこのやり方ではいずれまた別の棚を購入することになるでしょう。 ちなみに、もし僕が今物があふれた部屋を片付ける時は、逆に棚をどけます。倉庫にでも持っていきます。棚や収納は、整理処分すべき不要な物の宝庫だからです。

 新しい棚や家具を買ってくる『足し算』は、楽しいし、これを買えば部屋はどんな風に変わるのだろうとか考えたりとワクワクしますよね。だから皆やりたがります。反対に長年使ってきた物を整理したり廃棄するのは、「まだ使えるのに。。」とかいちいち悩むことがあり、辛く時間のかかる作業です。だから誰もやりたがりません。でも実はこの『引き算』こそが自宅や職場ををきれいにするために一番大切な事なのです。

 僕が引き算に気付いたきっかけは仕事です。実は10年前に一部上場企業から、今の小さな職場に転職してきました。その時、僕は大企業で学んだシステム、職場のインターネット環境や新しい人事評価システム等を、新しい職場にどんどん導入しようとしました。で、どうだったか?全くうまくいきませんでした。何故だかもうわかりますよね? 今の転職先の職場で古くから存在するやり方、慣わしに手をつける事なく(つまり温存したまま)、その上から大企業の新しいシステムだけを導入しようとしたから、全て中途半端に終わったのです。

僕の尊敬する松井証券社長が『新しいものは古いものを捨てたスペースにしか生まれない』と言っています。つまり新しいシステムを入れるのであれば、それまでのやり方をまず捨てなさいという事です。それは実は非常に困難で、時間がかかるだけでなく、時にものすごい抵抗にも遭います。しかし、そもそもその努力もせずに、新しいものだけ取り入れようというのが虫がよすぎるのです。
 
職場の話もそうですが、整理整頓は引き算が出来る人が成功をおさめやすいです。
皆さんも是非一度、『引き算』の論理で身の回りの整理整頓をされてみてはいかがでしょうか。